集まってくる人の類

2010-09-12 | からnakmas | ファイル: 本 book.
太公望との冒険もとうとう終了。
というか、国を作って、その後どんな治世をしたのかをもっと知りたかったが、
建国したところでほとんど物語は終了。
でもそれまでやってきたこと、示してした考え方から推して知るべし。

宮城谷さんの『太公望』下で最後に引用しておきたいのは、周王 発のこの言葉。

「鳳黄の虚とよばれる地にさしかかったとき、周王は韈(べつ 足袋)のひもが解けた。
周王が自分でそれを結んだので、近くにいた望が、
『どうしてほかの者にお命じにならぬのです』
と、きいた。すると周王は、
『上等な君主のまわりにいる者はみな師である。中等な君主のまわりには友がいる。下等な君主のまわりには召使しかいない。それゆえ、近くの者を使うわけには行かぬ』」(pp.383~4)

この言葉を実際にこういう場面があって、発したのかはわからない。
宮城谷さんがあとがきに書いてあるように、
紀元前1000年を超える時代のことは、わからないことの方が圧倒的に多いので、
物語として流れを作り、内容を持たせていくのは、相当に大変の作業だろう。

自分にとってはこれでいい。
たとえ何か別のものに着想を得たにせよ、宮城谷さんの中にこういう考えがあるということ。
それに触れられたのがうれしい。

自分のよい人間、少なくてもよい人間になろうとしているなら、
周りにはそれなりの、というか、立派な人たちが集まってきて然るべきだろう。
「よい人間」の条件の一つに、自分に足りないところがあればそれを素直に認める謙遜さがあって、
自分以外の人の力を認めて、彼らの力を借りたり、彼らから学ぼうとするはず。

だとすれば、昔の為政者(今も?)にありがちな、靴の紐が解けたときには従僕に結ばせる、
というような簡単な身の回りのことは自身でやるのが当たり前。

そういう人に私もなりたい。


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