遠藤周作『侍』

2010年3月10日 | からnakmas | ファイル:  思い, .

この2週間くらい、疲れが溜まっていたらしく、

背中から首にかけての筋肉が硬直してしまった状態が続いて、

頭が回らないし、体も思うように動かないしで、

自分の内側にほとんど留められたけど、苦しかった。

こんな状況だと、移動の電車で座れても、本を開いて、居眠り。。。

やっとこの2日で持ち直してきて、

読んでいたのがこの本。

“侍”だけど、切支丹の話。

いちばん印象的なところ。

ただ役目を果たす手段として洗礼を受けて、形だけにせよ切支丹になってしまった”侍”は、

ずっとイエス キリストがなぜ信じられているか、宿舎であった修道院のいたるところに掛けられている、十字架に張り付けられ痩せこけたその人が救い主なのか理解できずにいた。

でも自分が果たした役目がまったく意味をなさず、人からもまったく認められず、

人を信じられなくなり、完全に打ちひしがれていた時に、

自分にずっと仕え、従ってきた下僕の横顔が、その人に「似ているようにさえ思われた」(377頁)。

まったく遠い存在だったイエスを、身近なところで見つけた。

施してくれる神、願いをかなえてくれる神、

(そのために金品を求める神)、そういうのは世の中にたくさんあるけど、

同じ場所にたって、傍らにいて、一緒に苦しみ、涙を流してくれる神、

忍耐して、努力している姿を近くで見守ってくれる神って、そんなにいないかもしれない。

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